木村監督より、夏の大会を終えて お言葉をいただきました
2020夏
8か月前には想像もできなかった世の中になりました。OB・OGの諸先輩方におかれましても多々ご苦労をされているところだと思います。
3月から全く集まることもなく練習どころか、授業さえ行われず過ぎた3か月。(県立高校や私立は春休みに活動が再開出来ていたところもありました。もちろんそれも4月政府による緊急事態宣言の発令まででしたが。)市立高校は6月から学校が始まっても部活動そのものや対外試合には規制がかかり、先行きが見通せないなか、愛知県高等学校野球連盟の迅速な決断により、独自大会の開催が先行決定しました。練習計画や練習試合はどうするのか、そもそもその前にテストや授業はどうこなしていくのか。問題山積でしたから、私自身野球だけに前のめりにならない(私たちの恩師が良く言っておられました。「1に勉強、2に野球、3、4も野球、5も野球」と。まずは学生としての本分の学習面を第一に考えなくてはなりません)ように慎重に構えていましたが、3年生の部員は、全員がすぐさま足並みをそろえました。「独自大会に参加したい」———その決断には寸分の迷いも感じられませんでした。
今年の3年生の集団は、1年生の秋から多くレギュラーとして経験を積むだけでなく、前向きに練習に取り組み、任せていても緩めることがなく主将を中心によくまとまったチームを作っていました。昨秋最後の練習試合は強豪至学館高校でしたが、負けはしたものの接戦を展開し、冬もよく鍛錬し、2月ごろには手ごたえを感じていました。春のリーグが開催されていたならば、勝つ資格とチャンスをもっていたと思います。決して負け惜しみではありません。
残念ながら、独自大会では強豪校の力に屈する形になりました。6月末から7月にかけて享栄高校にもお願いをして組んだ練習試合がことごとく雨で流れてしまったことだけは誤算で、投手が打者と対峙する機会が乏しかったことがスコアに出てしまったように思います(これは負け惜しみですね)が、守備ではノーミスで、1・3塁からの愛産大工業の仕掛けにもバタバタすることもなく見事に対応できました。2月までの練習の成果です。総じて我が生徒のことながら、立派な戦いでした。表現は悪いのですが、部活魂は成仏させられたのではないかと思います。高野連や市教委をはじめ、3年生部員の思いに寄り添ってくださった皆さんには、ただただ感謝しかありません。
新チームは、1年3、2年3の6名+女子マネージャー1名での船出となり、本校野球部史上恐らく初の合同チームでの戦いとなりました(チームとしての監督は先方の若い方に託しました)。秋季リーグ直前の8月7日まで本校は授業があり、今またコロナのあおりを受け合同練習・練習試合禁止と、厳しい状況ではありますが、菊里野球部は死んではいないことを示していきたいと思います。心に燃える火だけは消すことなく守っていきます。種火を絶やさずにいれば、時運至れば燎原の火となるでしょう。OB・OGの皆様にも温かく見守っていただければ幸甚です。
監督 木村好輝(昭和59年卒)